1989年 中学2年 14歳 <中編>

 実は、ガンダム10周年のこの年は、私にとっても第二次ガンダムブームの
到来の年であった。

 この年の初め、隣り駅の駅ビル内本屋を目的もなく
ぶらついていたときのことである。ふと雑誌コーナーを横切ると、
垂直にディスプレイされた雑誌群の中から私を見つめる目が・・・。
目か?いや、正しくはメインカメラ(!?)。
 そう、A4サイズのその雑誌の表紙いっぱいにガンダムの顔が!
またそのガンダムの顔がアニメチックでなくミリタリー感が漂っている
ものだから人目も気にせず、その雑誌に飛びついたのだった。

 その雑誌の名は「B-CLUB」、バンダイの発行してい(た?)るホビー情報誌
である。手元にあるその表紙を今再び見てみると・・・。
 ”バンダイが発信するホビー&映像情報誌”らしい。その号は、1989年2月号、
通しNO.39であった。
 この雑誌にここで出会ったことによって、私のその後のガンダマイズ度が加速
されたことは言うまでもない。どうしてかって?それは・・・

 まず、本屋でB-CLUBを手に取り、立ち読みした際、初めてOVA「ポケットの中の戦争」
の存在を知ったのだ。この情報を詳しく知りたくてB-CLUBを買ったのは言うまでもない。
 そしてガンダム情報から派生して近藤和久氏のオリジナルコミックの存在を知ったり、
不思議な魅力のイングラムに惹かれそうになったり、したのだ。ちなみに、テレ東
「TVチャンピオン」の模型王である山田卓司氏の存在は、B-CLUBのレイバー・イン・アクション
で知っており、テレビを見て驚き、また納得もしたものだ。

 まぁ、回り道はいいとして、「ポケットの中の戦争」の存在を知った私は、
この年の3月25日発売日にvol.1を買ったのは言うまでもなく、以降全6話を
発売日に買ったのは当然の成り行きであった。そして、このばかげた行為(?)が
また、私に思わぬプレゼントをくれたりもしたのだが・・・。
 当時中2の私にとって、毎月のOVAへの出費は大きなものであった。だから、そんな
ビデオ所有者が珍しいらしく、二人の同級生にビデオを貸したのだが、その見返りが
なかなか素晴らしいものであった。
 まず一人目は、中学時代所属していた陸上部の仲間(#5)。これがまた、脚(短距離)は
速い割にかなりのマニア。まぁ、彼は男3兄弟の末っ子であったのだが、二人の兄がまた
かなりのマニアでもあった。何がマニアックであったかと言えば、プラモデルというより、
モデラーであったのだ。その技術力の高さは、市販キットが発売される前に、フルスクラッチで
NT-1を作成し、地域一番の模型売場の展示ディスプレイに飾れていたほど。それは、兄2人のうち
片方であったが、もう一人もSガンダムEXが飾られていた。
 で、彼(等)からの見返りが、市販されている1/144NT-1の顔があまりに不細工であったのだが、
それをかなり高精細に改造してくれたのだ。(組立前の状態で)
それだけでなく、胴体の一部もリフレッシュしてくれた。
 これはこれで、かなり嬉しかったのだが、私的にはもう一人の友人に貸した時の
見返りの方が大きかったかもしれない。


 もう一人の友人(#6)とは、小学校3年以来のつきあいだった。小学校時代、一緒に公文式にも通ったし
(彼の方が先に通っていたけど)、塾も一緒だったよな確か・・・。
 さて、ちょっと上の辺りで「不思議な魅力のイングラムに惹かれそうになった」と
書いているが、ここが重要なポイントである。ガンダム目的に偶然買ったB-CLUBだが、
今ほど金もないし、今よりよっぽど暇だった当時は、一冊の雑誌を買ったら何度も読み返したり、
興味ないページも読まないまでもざっと目を通したりしていた。
というよりも、半分模型情報誌だから、目に飽きなかったんだろう。で、必然的にイングラムや
グリフォンが目に入ってきた。イングラムを一目見たとき、その顔のいわゆる目の部分が
あまりにGMのようで新型GM?、あるいはバッタもんとか思ったりしてた(はずである)。
だが、よ〜くみると警視庁とか書いてあって変なの!、と言うのが第一印象であったが、
やはりそのフォルムに惹かれていたのだろうし、雑誌展開的にも興味をそそられていた。
だが、今の私がそうであるように、一旦それなりに盛り上がっているものに、新規参入するのは
結構なパワーがいるので、入るのがためらわれたのだ。
私を知っている人間は知っているかもしれないが、私は一度はまったものはとことん
追求するきらいがある。例えばガンダムのように・・・。
(だから、私は回りの人間が「三国志」好きで、会話中に三国志ネタ挟まれてわからなくても
「三国志」を読もうとは思わなかった。深すぎるのだ、そして些か歳を取りすぎた・・・?
<後日談>当初この項を書いたのは2000年頃だと思われるが、
その後2001年トータル4ヶ月を中国で過ごした私は、「三国志」を読み始めた。2003.5.5加筆

 回り道しすぎたが、話をまとめると、要はパトレイバーに惹かれ始めていたが、
入っていく勇気がなかったのだ。少ない小遣いでマンガ版を買うのも、つまらなかったときのことを
考えると恐くて買えず、またビデオを借りることも面倒であった。

 だが、時代はパトレイバーだった。TV版が始まるということをこれまたB-CLUBで知った。
時間軸としては、それまでの展開とはいわゆるパラレルワールドだと言うことだったので
入って行くにはちょうどよいと思われた。
 そして、時を同じくして、「0080」の見返りとして、マンガ版のパトレイバー1〜4巻を
その友人からもらったのだった。(ん?彼にとってはおもしろくなかったのか?
確かに友達と言っても、例えばジャンプでも読んでるマンガは違ったからなぁ・・・。
趣向の違いに違いない!)
 こうして(?)またしてもマニアックにハマるものができてしまった。
だが、もし、あの時「B-CLUB」に出会っていなかったら、いやまた別の機会に
遭遇していたはずだ。惹かれあっていたのかもしれない、いや「違いない」だ(!?)


 ちなみに、私は自分の言動に理由(というよりも要はリンク付け)をつけたがるきらいがあるが、
これによって一種交わりのない私の趣味に接点が出来た。
 つまり、(こういう言い方をしたくないが)いわゆる近未来SFアニメの「ガンダム」という趣味と
刑事ドラマ「あぶない刑事」という趣味が、初めて「パトレイバー」を媒介にしてリンクができたのだ。

ガンダムMS=二足歩行人型兵器→二足歩行人型機械=レイバーパトレイバー→警察舞台
→刑事ドラマ→あぶない刑事

 おそらく後述するが、私は卒論でニューラルネットワークをかじったのだが、いわゆるシナプスに
重みが付いたようなものだ。


<後日談>
あぶない刑事を皮切りに「ゴリラ」「刑事貴族」等の刑事物にはまっていった私だが、
それまでの刑事ドラマ(石原プロ路線?)とは一線を画す刑事物「踊る大捜査線」にもはまることになる。
(もちろん、97年1月の本放送時から観ていた)
その「踊る」の本広監督とガンダムの接点を今さらながら見つけてしまった。
アスキーが99年から隔月で出していた「G2O」というガンダム・トリビュートマガジンに本広監督の
インタビュー記事が載っていたのだ。つまり、私のガンダム路線と刑事ドラマ路線の接点は、
どのようにしても交わってくるようだ(?)
(2003.5.5記)
 

<この年はまだ続く?>

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